音読のススメ『夜のピクニック』。僕は融であって貴子でもあるんだ。
今週のお題「読書の秋」
本編はpart3から読めば大体伝えたい事が詰まっている。
1.本との出会い
『夜のピクニック』、それは恩田陸さんの小説であり、数年前に映画化もされた超有名作品である。
多部未華子さんが出演しているとか。ちょっと気になる。でもまだ見ない。
まだ原作を読んでいないからである。
先日、本屋にてなにか興味を引く本はないかなと探していたところ、この本と目があった。
「何万冊の本から1つのタイトルを読む。ただそれだけなのに、どうしてこんなに特別なんだろう」
キャッチコピーを拝借すれば僕の心情はこのように表現できた。
これといって何もかかっていないことにお気づきだろうか。そう、思いつきの発言である。
出会いというものは、どうしたって突然やってくるもの。
僕はその本を手に取り、店員さんにぎこちない笑顔で「カバーはいらないです」と伝え、左ポケットに入っているがま口財布から小銭を出す。
店員さんはきっと(この人、がま口財布使っているんだ。柄が和風でだいぶ可愛らしいな。そしてだいぶ質が良いものをつかっている気がする。なになに、あぁ、御徒町付近で買ったものかな。きっとあの柄は御徒町に違いない。凄くいいなあの柄。この人はきっとセンスが良いんだろう。レシートに連絡先でも書いてがま口財布のことだけじゃなくてもっと色々なこと聞いてしまおうかしら。)と思いながら小銭を受け取ったに違いない。そうに違いない。
そう思いたい。
男女は問わず。
本を購入し、家に着く。
さあ読もう。でもその前に見たい番組があったな・・・
〜次の日〜
今度こそ読むぞ!っとその前にFGOのイベント周回進めないと・・・
〜次の日〜
あー。本読まないと。でも今は気分が乗らないな〜
・・・
気づけばもう1週間経つ。
僕は読むモチベーションが急にやってきて、急に下がるのだ。
本の神様がいるのであれば謝罪をしたい。積読してごめんなさいと。
別に神様じゃなくたっていい。あの特別さを感じさせてくれたあの瞬間あの時、引き合わせてくれた"何か"に僕は謝罪をしたい。
だが、あるきっかけが僕にそのモチベーションをもう一度持たせてくれたのである。
2.音読との出会い
ここでもう一度言いたい。
出会いというものは、どうしたって突然やってくるもの。
ある晴れた日のことだった。
ネットサーフィンをしているとこんな記事を見つけた。
っえ、ADHDにも運動って効くんだ。
うそ、本当に?
僕は部屋で独り言を呟きながらGoogleの検索フォームに「ADHD 運動」と打ち込んだ気がする。
運動することで僕の人生がもしかしたら豊かになるかもしれないなと色々と記事を見ているとこんな記事を見つけてしまった。
ADHDとコミュ症を自力で克服しつつあるから方法語ってく : 【2ch】コピペ情報局
っえ、音読も効いちゃうの?マジで?
いつもは綺麗な日本語を心がけ、アンチ汚い言葉とさえ思っている僕ですらマジでという表現をしてしまうほどには寝耳に水のことだった。
記事の内容は2chの情報ゆえに確証があるわけではない。
だが、音読をやる分には無料だしやってみる価値はあるか。
こうして、『夜のピクニック』と 音読 が出会ったのである。
3.音読のススメ
音読をすることはADHDのみならず、脳に良いらしい。
さて、音読を行うことは高校生以来のことであり、すでに6年ぐらい経っていた。
学生の頃は音読は嫌いではなかったしむしろ得意だと思っていた。
一冊まるっと音読するなんてそんなに疲れるでもないし、これでADHDが改善するなら本当に良い方法だよね。
よし、早速読むぞ〜〜〜!
っと思った10分後には気付いた。
甘かった。
なぜか喉を痛めている自分がそこにはいたのである。
あれ、声がかすれている気がする。
いつもはカラオケで「恋のメガラバ」を自分なりに声を分けて、それで全力で声を出して掠れるのに。
なぜ普通の声の大きさでこんなにやられてしまっているんだろうか。喉か。腹式呼吸で音読していないからか。
いや、もしかして無意識に演じようとしているんじゃないか?
とどのつまり、
音読は思ったより奥が深いのである。
以下に僕が感じた音読の"奥"というものを列挙した。
どれもこれもすべてはボク個人の見解であることを念頭に置いて頂きたい。
Ⅰ. キャラの演じ分け、感情の表現が本の内容をより読み取れた。
融と貴子が同じクラスになった時、融の父の葬式の時、それぞれの場面の感情を声で表現することで、よりキャラクター達に寄り添えるのである。
僕はカギカッコの中や心情を読んでいる時、僕は融であって貴子でもあった。
Ⅱ. 音読しながら理解する。までには時間がかかりそう。
音読をするとどうしても”声を出して読む”ことに意識がいってしまい、中身を理解することが疎かになりそうになる。
気づけばただ声に出しているだけで頭の中は別のことを考えている。という状況すらあった。
"声を出して理解しながら読む"ことの難しさが脳に良い影響を与えているのかもしれないなと思っている。
Ⅲ. 発音よくしようと頑張る。
これは東北の人は特にあるのかもしれない。
東北人は寒い環境育つ故に口をあまり開かないで喋るんだとか。
無論僕もである。
そのために滑舌が少々悪い。いや、発音が悪いということか。
音読中に自分の発音がとても気になるのである。
なんかこの発音はきっちり他の人には正確に綺麗に聞こえているんだろうか。とか。
せっかくの音読の機会である。滑舌も改善しちゃった方がお得である。一石二鳥である。
Ⅳ. 疲れる。
疲れるのである。
発音をよくしようとすること、アクセントに気をつけること、内容を理解すること。
その他細かい点もあるとは思うのだが、想像以上に意識することは多かった。
大体1章分で1日分ぐらいの気持ちで読む。
そうでもしないと喉がやられてしまう。そうじゃなくても喉はやられている。
音読はのめり込めば込むほどより負荷がかかるようだった。
高校生の頃とは比べ物にならないぐらいには疲れている。
Ⅴ. 意外と楽しい。
黙々と読書をすることも十分楽しいのだが、音読をするのはそれはそれで気持ちが良い。
どこか満足感に似た気持ちを抱きながら本を閉じている自分がいるのである。
4. 是非一度やってほしい、"音読"
正直まだ60ページぐらいしか読んでいない。
いや、逆に言えばそれしか読んでいないのにここまで僕が語ることが出来るのである。
っていうのも読んでいる本の内容がやっぱり面白いから読めちゃうっていうのはあるかもしれないですね。
え?言うほど語っていない?
ここから先を語るのはあなた自身でやってほしい。(逃げ)
僕がこれ以上音読の魅力を伝えてしまうのはどうしたって面白くはないだろう?
「声に出して本を読む。ただそれだけなのに、どうしてこんなに特別なんだろう」
音読。凄いものに出会っちまったぜ。