ADHDが語る、自分の話。
ADHDと診断されました。
昔からボーっとする不思議ちゃんだった。
よく、天然だと言われました。(別記事にも書いていますが。)
授業中は貧乏ゆすりは止まらず、先生の話に集中することが難しく、いつも外を見たり、別のことを考えることばかり。
忘れ物もよくしたり、時間にルーズだったりと昔から症状は出ていました。
人の話もあんまり聞けない子だったと思います。でもそれは外には出さないから一見聞いているように見せるのは得意でした。
大学生の頃にADHDというワードを知る。
世の中にはADHDという方々がいるらしい。どうもそれは僕に似ている箇所があるようだ。でも、苦労したことはさほど無いし、自分とは無縁だろうとかんじていました。
それはそうでしょう。責任の重い事柄をしたことが無かったので。
楽に、ゆるく生きていました。
社会人になってから生きにくさを感じ始める。
社会人になってからこのADHDの症状は顕著に影響を与えます。
・物事を詰めきらず、中途半端に終わらせるものだから結果的には怒られ、自分に仕事が返ってきて、時間が無くて焦る。
・ケアレスミスが多い。悲しいことに、何度確認してもミスが出る。だから確認作業が増える。1つの仕事に時間がかかる。
・スケジュール管理が出来ないがゆえにギリギリにならないと作業に取りかかれない。そして中途半端に終わらせてしまう。
・物忘れが激しい。重要な作業をあたかもポケモンの技を忘れるのと同じようにポンッと忘れる。結果怒られる。
・集中力が続かない。別の外的要因が加わるとすぐにそちらをしようとしてしまう。
・お金の管理が全くできず、月末は常にスッカラカン状態。
・計画立てが壊滅的。複数の案件・業務が発生すると混乱し始める。
・先輩、上司の話が全く頭に入ってこない。話を聞いていても何かキーワードが耳に入ってくると、そのキーワードをもとに自分で別のことを考え始めている。そして話についていけなくなる。
恐らく細かく分けていくことでもっと具体的な問題は出てくると思いますが、少なくとも上記のことが頻繁に起こりました。
そして自分の出来なさに嫌気が指してしまい、自分を責めはじめて心のバランスが崩れて体調も崩してしまいました。
上司が部署を変えてくれるも、そこでも問題は解決しなかった。
体調を崩し、この会社ではやっていけないかもと感じた僕は上司に相談します。相談の結果、部署を変えて再挑戦する機会をいただきました。
部署が変わってからの1,2ヶ月。順調に感じていたのですが、3ヶ月目。いや、僕にも業務が色々とやってきてから問題はどんどんと出てきます。
タスクツールを使っても、付箋で目に見えるようにしても、どう意識しても改善されていかない症状に僕の心は苦しめられていきます。
そして病院へ行き、ADHDと診断される。
信じたくはないものです。自分がADHDであることを。ですが、仕事での支障が大きくなってきたこの事態を解決するには最早自己解決は難しいと判断しました。
病院で先生に自分の過去からの症状を話し、そして診断テスト等行った結果、僕はADHDでした。
あぁ、分かってはいた。恐らく僕はADHDなのだろうと。でもいざ診断されるとそれは僕の人生はこれからこいつと付き合っていかなければならないこと、どの仕事をやっても上手くいかないのではないかという不安が残りました。
そして現在に至る。
現在は薬の投与が始まりました。
ストラテラ40mg。
体が今までに感じたことの無い感覚は薬の作用に寄るものなのか、それとも自己暗示でもかけていたのか。よく分かりませんが、少なくともちょっとずつ改善していっていると信じたいです。
また、ADHDの人でも向いている仕事があると様々な記事を見て知りました。
今はどんな仕事が向いているのか、実際に手を動かしてみる、話を聞いてみる等して自分の適した職業に就けるように動いています。
恐らく、様々な方が仕事に苦しまれているかと思います。勿論楽しくされている方もいるかと思いますが。
そんな方は特に病院で一度診察していただくだけでも人生変わると思っています。
僕が病院に行って良かったと思える最大のこと。それは、
自分の話を受け止めて、聞いてくれる人が出来たこと。
会社でADHDの相談が出来る人もいない、そもそも人との付き合いが苦手な自分には相談出来る人があまりいませんでした。
そんな状況での病院の先生の存在はとても幸いです。
少なくともこの人は僕の話を聞いてくれる。たとえ相手は仕事だとしてもその存在は大切です。
話にまとまりはありませんが、今後もADHDの経過報告とか自分の考えとかは発信していきます。
このブログ、あんまり重たいブログにしたくないんだけどなー。テヘッ
今日のお絵かき 1枚目
ペンタブを買いました。
今までイラストを描いてみたいとずっと思っていたのですが、なかなか踏み切れず、ブログを始めたタイミングでイラストも描いてみようと思います。
どのくらい描けるの?
回答:美術のデッサンをしたのが最後でした。あとはwindowsのペイントで落書きをしていたぐらいですかね。お絵かきの森は不得意でした。
目標は?
回答:自分のどストライクな女の子をどストライクなポーズで描き上げる。です。
学習方法は?
回答:正直良くわかりません。ネットで調べると模写が大事ということだったので、模写をどんどんしてみようと思います。
なんで下手くそなイラストをあげようとするの?
回答:黒歴史っぽくて好きです。なんでもかんでも最初は下手くそなものです。せっかくなのでブログで残しながら少しずつ上達したいです。
模写したイラストに関しては基本的には掲載せず、オリジナルで作成したイラストとかを上げられるように頑張ります。
ツールはフォトショを使います。
しばらくは悩みとかになりそうですね。
では次回。
就活はOBOGに会ったほうが良いよ。絶対。
彼らは会社の真実を知っている。だが、聞く先輩の選定は必要だ。
どうもこんばんは。あたまぐるぐる、あたるです。
アグーって今思いついた略称なのですが、ほかに意味があるのでしょうか。
後で調べよ。
さて、今回は僕がもし就活生にアドバイスをすることがあるのであれば、これだけは言っておきたいということを述べさせてください。
就活はOBOGに会うことで自分に合った仕事を見つける最大の近道となる。とね。
僕の就活時代を振り返る。
僕の就活は比較的早かったです。
というのも、研究室の教授の意向によるものが多分に含まれています。
そして当時の僕も就活には意欲的でしたし、頑張ったつもりです。
結果的には苦戦もちょっとあったのですが、なんとか無事に内定を頂いて今に至るわけです。
当時、よくやったのは自己分析だった気がします。
自己を知ることでどんな企業が良いのか、どんな社風が合うのか、理解することが出来るからですね。
こちらも勿論やっておきましょう。
当時の僕はあんまりOBOG訪問をしていませんでした。
そもそもコミュ障っていうのはあります。
後は、OBOGって大学でいうとサークルの先輩か研究室の先輩方ぐらい。
サークルの先輩方は毛色の違う職種でしたし、研究室の先輩方とはそこそこに仲が良い程度で僕から声をかけるということもありませんでした。。今となっては後悔OTZ。
結局のところ覚えている限りだとうろ覚え程度にしか訪問することなく就活を終えてしまいました
さてさて、そこから社会人となって仕事をしていくわけなのですが、働いているなかで何となく自分に合わないなと思っている点がぽつぽつと出てきます。
まぁ仕方ないでしょう。務めている以上合わない点は我慢するしかないのでしょう。
自分に一番合っている会社は起業するしかないと誰かが仰っていた気がしますし。
でもある日、あ、ここは合わないかもしれないという不満が出てきてしまいます。
自分が分析して、希望に叶っている会社だった気がしていたはずがどうしてもそこだけは許せないなんてことを見つけてしまうのです。
なぜこんなことが起きたのでしょうか?
そもそもの話自己分析をしていただけで社会及び企業内で起き得る実情を知らなかったのです。
学生ですからね。しかもインターンもそんなにやっていないとなると当然の結果です。
採用サイトには良い感じに全てが見えます。
自己分析の情報だけを照らし合わせて採用サイトを見ていればこのような事態を招くでしょう。
だからこそ大事なのはOBOG訪問です。
もう一度言います。
大事なのはOBOG訪問です。
なぜOBOG訪問が大事?
OBOGの方は良くも悪くも会社の姿を知っています。
そんな方々のお話を聞いてみて下さい。
あなたは話を聞いている中で一喜一憂しているポイントが見つかってくると思います。
それはつまりあなたが仕事上問題あり・なしのポイントを指します。
きっと自己分析している時より細かな状況が聞けると思います。それによってより細やかに自分を分析できます。
勿論、自分の会社に入りたいです!と言うと、中々悪いことを言ってくれる人はいないので、うまくごまかしましょう。
ごまかしフレーズ一例
1.「会社で働くという実情を知りたいです。」
2.「仕事上でキツイことメインで教えてください。」
3.「会社はブラックですか?」
こんな感じです。
ごまかしてないですね。良いんです。大抵の人は教えてくれると思います。
人間誰かに愚痴を言いたくなるときも有りますよ。
OBOGだって人間です。
あとは、あんまり意識高くない系OBOGを狙いましょう。
どうしても意識高い彼らはポジティブです。
意識高くないぐらいが悪いとこも良いとこもぽつぽつ言ってくれる。そんな気がします。
最後に
とりあえず、僕で良ければお話するので何かあれば連絡下さい。
ネガキャンは得意です。
"天然"ってお子さん言われてないですか?(持論)
「◯◯って、"天然"入ってるよね。」
小学、中学、高校、大学とずっと言われてきていた言葉である。
そもそも"天然"とは何を指しているのか?
天然で検索をかけると[天然ボケ]というワードでウィキペディアに記載されていた。
天然ボケ(てんねんボケ)とは、周囲からややズレた発言や行動を自然に行い、結果、笑いを誘ってしまう変わり者のことを指す場合が多い。
そうそう、こういう感じ。
現代の学生達にこの"天然"という言葉が使われているかは分からぬが、この言葉は10代の頃は特に心地よい響きに感じることが多い気がする。
学生の頃は注目されたい、目立ちたい。そんなふうに思う人はいたのではないだろうか。
僕はそうだった。
そんな願望を持つ私達に"天然"は特別なステータスを付与してくれる。
"天然"ってだけで女の子に好かれるのだ。可愛いねと。
ちょっと勘違いとか不思議ちゃんなところが出てしまうだけでなんか注目されてる感覚を得られちゃうのだ。
あれは嬉しかったな。
無論、天然にも度合いがあるのだが、僕の場合は可愛い可愛いとチヤホヤされるレベルだったようだ。
この頃は自分が意図せずしてしまっていることで皆にチヤホヤされることを子供ながらに理解した。
あぁ、僕は"天然"であることに意味があるんだ。と。
結果的に僕は"天然"であることを治そうと微塵と思わなくなったのである。
特に平々凡々、思い当たる特徴の無い僕にとってはこのステータスは特別なのだ。
このステータスこそが他と僕を差別化するものなのだと。
あれから社会人になり気づく。
"天然"が引き起こした弊害は仕事に支障をきたすと。
"天然"とは悲しくも注意欠如や多動性障害のようなADHDに類似される症状に似ていることがある。
不思議ちゃんや天然ボケはここから起因することもあるだろう。
子供の頃に許容してしまうことで、ADHDを改善することが出来ない。
大人になって気付いた時には既に生活に影響が出ている時なのである。
ADHDはなかなか日本社会では生きにくいように出来ている。
学生の頃に治そうと思わなかった、思えなかった自分が嫌で仕方ない。
僕は"天然"と言われることが嫌いだ。仕事における"天然","不思議ちゃん"は危険なのだ。
可愛くも何もない。
ただただ仕事で凡ミスや失敗が多めの困ったちゃんなのだ。
そして自分を苦しめる結果に繋がるのだ。
優越を感じた15年ぐらいが、その後45年憂鬱を感じ続けるかもしれない。
奥さん、子供の時に治療をしておくと治りやすいとか記事見つけましたよ。
もし、自分のお子さんで天然って言われると思ったらよく見守ってあげて下さい。
上記では自分なりに後悔していることを書きましたが、やっぱり子供の頃に自分で気付くことは難しいと思ってます。
だって嬉しいもん。女の子にチヤホヤされるの。仕方ない仕方ない。
ですのでお母様、お父様、もし自分のお子さんが"天然"と言われているのであればよく見守って上げて下さい。
もしかするとその子の未来が今よりちょっと良くなるかもしれないです。
適職見つければ別に天然でいて良いんだけどね。
あーーーチヤホヤされたい。
※書いて有ることは全て私の持論であり、医学的根拠で類似しているとかは一切述べておりません。