毎日ホリデイかどうかは自分次第

東京在住、20代社会人がつらつら思ったこと、やったことを書くブログ。仕事やプライベートの苦悩も吐露する。そもそもあんまり仕事にモチベーションが湧かない今、ゆとりらしくゆとりを持てるように試行錯誤中。中々上手くいかない。

"天然"ってお子さん言われてないですか?(持論)

「◯◯って、"天然"入ってるよね。」

小学、中学、高校、大学とずっと言われてきていた言葉である。

 

そもそも"天然"とは何を指しているのか?

天然で検索をかけると[天然ボケ]というワードでウィキペディアに記載されていた。

天然ボケ(てんねんボケ)とは、周囲からややズレた発言や行動を自然に行い、結果、笑いを誘ってしまう変わり者のことを指す場合が多い。

そうそう、こういう感じ。

 

現代の学生達にこの"天然"という言葉が使われているかは分からぬが、この言葉は10代の頃は特に心地よい響きに感じることが多い気がする。

 

学生の頃は注目されたい、目立ちたい。そんなふうに思う人はいたのではないだろうか。

僕はそうだった。

そんな願望を持つ私達に"天然"は特別なステータスを付与してくれる。

"天然"ってだけで女の子に好かれるのだ。可愛いねと。

ちょっと勘違いとか不思議ちゃんなところが出てしまうだけでなんか注目されてる感覚を得られちゃうのだ。

あれは嬉しかったな。

 

無論、天然にも度合いがあるのだが、僕の場合は可愛い可愛いとチヤホヤされるレベルだったようだ。

この頃は自分が意図せずしてしまっていることで皆にチヤホヤされることを子供ながらに理解した。

あぁ、僕は"天然"であることに意味があるんだ。と。

 

結果的に僕は"天然"であることを治そうと微塵と思わなくなったのである。

 

特に平々凡々、思い当たる特徴の無い僕にとってはこのステータスは特別なのだ。

このステータスこそが他と僕を差別化するものなのだと。

 

 

あれから社会人になり気づく。

"天然"が引き起こした弊害は仕事に支障をきたすと。

 

"天然"とは悲しくも注意欠如や多動性障害のようなADHDに類似される症状に似ていることがある。

不思議ちゃんや天然ボケはここから起因することもあるだろう。

子供の頃に許容してしまうことで、ADHDを改善することが出来ない。

大人になって気付いた時には既に生活に影響が出ている時なのである。

 

ADHDはなかなか日本社会では生きにくいように出来ている。

学生の頃に治そうと思わなかった、思えなかった自分が嫌で仕方ない。

僕は"天然"と言われることが嫌いだ。仕事における"天然","不思議ちゃん"は危険なのだ。

可愛くも何もない。

ただただ仕事で凡ミスや失敗が多めの困ったちゃんなのだ。

そして自分を苦しめる結果に繋がるのだ。

優越を感じた15年ぐらいが、その後45年憂鬱を感じ続けるかもしれない。

 

奥さん、子供の時に治療をしておくと治りやすいとか記事見つけましたよ。

もし、自分のお子さんで天然って言われると思ったらよく見守ってあげて下さい。

 

上記では自分なりに後悔していることを書きましたが、やっぱり子供の頃に自分で気付くことは難しいと思ってます。

だって嬉しいもん。女の子にチヤホヤされるの。仕方ない仕方ない。

 

ですのでお母様、お父様、もし自分のお子さんが"天然"と言われているのであればよく見守って上げて下さい。

もしかするとその子の未来が今よりちょっと良くなるかもしれないです。

 

 

適職見つければ別に天然でいて良いんだけどね。

あーーーチヤホヤされたい。

 

 

※書いて有ることは全て私の持論であり、医学的根拠で類似しているとかは一切述べておりません。